2010年10月1日、株式会社ライブドアに入社しました。昨日で丸3年だったことに今、気がつきました。
10月5日が息子の誕生日なので、ブログの予約投稿でもしようかなと思っていたところです。
ええ、忘れてました。いや、今書こうと思っていたところでした。
この3年で1番良かったことは、「1回も会社を辞めたいと思わなかったこと」
転職サイトの履歴書は3年更新してないし、スカウトメールも開かなくなりました。何度か死にたいなー、と思った事はあったけど、会社行きたくないなー、と思ったことはなかった。これはすごい。
そして3年で社名が2回変わり、株式会社ライブドアがNHNJapan株式会社になりLINE株式会社に。担当業務もBLOGOSの政治担当からNAVERまとめになって、LINE NEWSになった。とにかく変化があって楽しい。昨日も会社の部署がまるっとmixiに売られていた。明日どうなるかわかったもんじゃない。超楽しい。
2000年、新卒でラジオの制作会社に入社して、そこがたまたまフジサンケイグループでニッポン放送の子会社で(当時はポニーキャニオンの子会社)、8年間ディレクターやらせてもらって、ライブドア事件には買われるほうとして巻き込まれていたのに、気がついたらライブドアニュースの記者として首相官邸で総理大臣の会見に出ているのが私の人生。
このブログの最初のエントリーは「AMラジオ、買うんだー。」2005年の2月8日にライブドア事件について書いてました。まだ27歳。
最初の転職は株式会社CELL(現ドワンゴコンテンツ)。ニコニコ生放送の立ち上げというチャンスに恵まれまして、入社初日にやった仕事は、番組のリハーサルで堀江貴文さんの代役だった。さらにそのあと、「ホリエモンの満漢全席」という番組で、堀江さんの自宅から2度も生放送することになる。
堀江貴文さんの収監が決まって、その会見にも出た。ニッポン放送の事を質問したのは僕だけだった。堀江さんは唯一、この質問で謝罪の言葉を述べることになったが、マスコミは「堀江謝罪せず」と報じた。不思議だった。
収監直前にモヒカンになる散髪の生中継を仕切っていたのは、これまたニッポン放送からニコニコに転職した後輩のディレクターだった。彼は「満漢全席」のディレクターを経て、今やセクションマネージャーとなり、公式生放送をプロデュースする立場になっている。出世おめでとう。
多分これが、「ライブドア事件」、最後のおもしろだったんじゃないだろうか。事件が歴史の教科書に載ったら、「おじいちゃんは世界で1人だけ、ニッポン放送とライブドアの釜の飯を両方食べた人なんだよ、ユダみたいだろ」と自慢するのを老後の目標にしよう。うんそうしよう。
そして、会社としてのライブドアは消滅し、今やLINEという、なんだかよくわかんないけどニュースでやたら社名を耳にする会社の一員となった。世界を相手に戦っているサービスで、男女がこれを使ってよく出会っているらしい。LINEは立ち上げ当初から使っているが、ただの一度も女性と出会えたことがない。なぜだろう。
きっと、LINEで出会える人って、LINEが無くても出会えるんだろうな。カカオトークでやればいいのにな。
と、いう事で長くなりましたが、4年目はLINE NEWSに全力投球という事で、一目で短く簡単にわかるニュースアプリとして使っていただけるよう、日々キーボードを叩き続けたいと思う所存ですが、「ですます調」と「である調」が混じるこういう文章を書いてはいけません。
さらに引き続き、BLOGOSの生放送も僕が担当しますので、気が向いたら見てやってくださいませ。次回は10月4日(金)21時から、松本ハウスのお2人と国立精神・神経医療研究センターで社会復帰研究部の部長を務める、伊藤順一郎先生をゲストに、ジャーナリストの須田慎一郎氏とBLOGOSの大谷編集長が、100人に1人がかかる「統合失調症」からの社会復帰というテーマで1時間の生放送でございやす。
ものすごい本なので読んだほうがいいですよ。