明治大学政治学部政治学科長などを歴任された、小池保夫教授が昨年ご逝去され、小池保夫ゼミナールOBOG一同による「お別れの会」が執り行われました。
2020年3月に70歳で明治大学を定年退職された先生でしたが、コロナでお会いできないうちにお亡くなりになってしまい、ろくにお礼も言えぬままのお別れとなってしまいました。
ほんとそういうとこだよね…。
僕は「先生」という職業の方と大変相性が悪く、人生で世話になった先生、恩師と呼べる先生はあとにも先にも小池保夫先生だけ。にも関わらずこの体たらくで、きっとまた先生怒ってるだろうな…、と思いながら献杯してまいりました。
わたしは小池ゼミ4期生だった(知らなかった)

会場に着くと首から下げる用の名札がズラッと並んでいたのですが、なんか自分の名札が左端にあって、名簿もすごく上の方に名前がある。はて?
OB会にも全然顔を出してなかったのになんで?と思ったところ、20数期まであった小池ゼミの中で、2000年卒のワタシは4期らしく、わりと初期メン。今の今まで知りませんでしたというか、卒業して25年の間に完全に忘れていました。
僕より先輩で会場にいらしていたのがお2人だけだったので、4期が3番手。残り30人くらいが全部後輩という、奇しくも「重鎮のめんどくさいOB」ポジションになっていたのです。
挨拶トップバッターの悲劇
先輩のお2人が、ゼミを代表して会のアタマにご挨拶をされ、乾杯の音頭をとってくださり、お別れの会は始まりました。
先生の奥様がいらしてくださっていたので、小池先生の遺影に向かって献杯させていただいたあと、思い出話などをしていた矢先、「ここからは、先生の思い出話と近況を1〜2分でスピーチお願いします。まずは4期の田野さんから」と、なんの用意もしてないところで呼び出される悲劇。
え、なんの準備もしてない!と、アワアワしつつマイク前へ。
しかし我らが小池ゼミ、ゼミの基本はディベートだったので、喋れないというのは許されません。脳みそフル回転で最初に思い出したエピソードは、卒業式のあと同期のゼミ生と僕と、3人で飲みに行くぞと誘っていただき、学生生活の最後の瞬間まで一緒にいていただけたことでした。
思い返すと、きっと先生はこの二人はこのまま社会に出すのは不安すぎる、居酒屋で最後の授業やるぞ、わかってるな、ということだったと思うんですが、エピソードを盛って話す暇もなく、泣かせる話に構成しなおす時間もなく、ただただ普通に話してしまったことをいま大反省しております。
「卒業式後に待っていた、最後の補習」というタイトルでもう1回話させてくれませんかね。
お酒が大好きだった小池先生

先生すごいなと思ったのが、4期の我々が「先生の家で日本酒2升飲まされた」みたいな明治大学あるあるを話すのはわかるんですが(20世紀の出来事)、先生が60代後半で教えていた20期台の子たちの思い出話もほぼ酒絡み。
あの店でママを取り合った、終電寝過ごさないように電話で逐一乗り換えを指示した、酔った先生を家に泊めた、など出るわ出るわ。
先生、元気すぎません?
ご持病があるのにお酒もタバコもお医者さんに怒られながらやって、孫世代の大学生とゼミ後に毎回飲んで、終電ギリギリでゼミ生に起きてますかと電話されながら帰って、時々は泊まって帰らないw
すごい恩師を持ったものだなと、改めて思いました。
ポンコツは俺が面倒見る
先生との思い出話の中で「ゼミ試」(ゼミの入室試験)のエピソードも色々出て来たのですが、昔はマスコミゼミは人気で、倍率3〜4倍なんてのもザラ。
小池ゼミも人気で面接は厳しく、なぜ自分が通ったのか不思議だったのですが、その謎が今回のお別れ会でちょっとわかった気がしたんです。
「ゼミをどうサボるか考えてばかりいた」
「泣きついてなんとか単位もらった」
「留年したけど翌年ゼミに入れてくれた」
「卒論ケチョンケチョンだった」
こんな話がいろんなOBOGから「あるある」のように出てきて、もしかして先生は、
「優秀な学生は他のゼミでもやっていける。部活でもなんでも、他のことに一生懸命になってるやつは多少ダメでも俺のところで面倒見てやる」
という基準で合否を出していたのかなあ、とぼんやり思いました。
いい先生だったな。
自分の頭で考えなさい
先生は政治経済学部の講義では「ジャーナリズム論」を中心に教えていて、
「同じ出来事でも読売と朝日、産経でぜんぜん違う切り取り方をする。メディアを鵜呑みにするな、異なる意見を聞いて、自分の頭で考えなさい」という、今でこそしょっちゅう耳にする「メディアリテラシー」を1・2年生に叩き込んでいました。
卒業から25年、メディアの世界でやってこれたのも、ジャーナリズム基本の「き」を小池先生に教えてもらったからこそです。
これからもネットニュースの世界で、先生に教わったことを細々と活かしていきたいと思います。
小池保夫先生、本当にありがとうございました。